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どこまでも歩き続けること

石川直樹/著
「 風と頂 」より


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100年以上前、見知らぬ野山を歩き続け、日本人として初めてチベットに足跡を残した人がいる。

“河口慧海(かわぐちえかい)”

僧侶でありながら、稀代の旅人でもあった。


1897年、慧海は原典に近い仏教の経典を求めてチベットへと旅だった。

インドのダージリンでチベット語を学び、中国僧に扮してネパールからチベットに潜入していく旅の凄まじさは、残された手記のあちこちに語られている。


ぼくは彼が歩いた道をこの目で確かめたくて、ムスタンを訪ねた。

現在のムスタンはネパールの一部となっているが、かつては王国として栄えた土地である。

チベットと国境を接しており、長いあいだ外国人の立ち入りが制限されていたこともあって、消失しつつある古チベットの文化が今も受け継がれている。


慧海と同じように、カトマンズやポカラを経由して、南のカグベニという村から北の王都ローマンタンへと歩を進めた。

馬を乗り降りしながら這うように谷や峠を越え、靴底に石の形を感じながら無心で少しづつ進んでいく道行きでは、歩くことそのものが神聖な儀式のようにも感じられる。

ヒマラヤ地域の人々にとって、山は登るものではなく、ひたすら歩くためにあった。

見知らぬ人々と交易し、新天地を見つけるために、古くから彼らは名もなき野山を延々と歩き続けてきたのだ。


荒野を丸3日間歩いた末に、ぼくは城塞に覆われた古都ローマンタンに到達した。

王国の周辺には赤いチョルテンがあり、チベットの衣装を着た男女がゆっくりと往来している。

木製のドアの上に掲げられたヤギの頭蓋骨、埃と砂だらけの犬、マニ車を回し続けるおじいさん、おしゃべりに興じる女性たち…

ヒマラヤの麓に築かれた王都には、今も悠々とした人々の暮らしが根づいていた。


さらにここからヒマラヤを越えてチベットに入った慧海の旅を夢想する。

彼が真に独創的な人物であったのは、自らの目で世界を見つめ、自らの足で未踏の地に分け入ったからだろう。

このような場所を単身乗り越えた者に訪れる恍惚、それこそが、もしかしたら人間を未知の高みに導いてくれるのかもしれない、と思う。


どこまでも歩き続けること。


それは未知の世界と出会うための、シンプルかつ、究極の旅なのかもしれない。



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まぁ、こんな文章と慧海を引き合いに出すほどの壮大な話ではないんだけど、最近、やっぱり“続けること”が大切だなぁと思うことがよくあります。

やめてしまう…というのは手っ取り早い逃げでもあって、ずっと僕が得意としてきたことで。

やり切ったと思えるのはダンスくらい。

だから、そこには後悔が微塵もないのです。


悔いを残さず生きる…とまでは言わなくとも、その都度その都度をこれまでとは違う姿勢でやり切っていけたなら、今までとは違う考えだって持てるかもしれない。

こころ、強く、しなやかに、もっと丸く、もっとやわらかく。


パン皿のような薄く横に寝そべった月を見ながら、そんなことに想いを馳せた夜。


チョコレートとは、なんの接点もない話でした。
2013-02-14